ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。
金曜日、たまには本屋にでもと近所の本屋に行った。本屋さんには図書館とはまた一味違う楽しさがあった。
今とれたての新鮮な魚、もしくは新鮮なとれたて野菜が並べられたような活気を本屋さんから感じた。世相を知るには、街を眺めるのも役立つかもしれないが、本屋さんに行っても世相を感じることができる。何より本達との偶然の出会いが面白い。
そこでこんな本を見かけたた。
カメラマンである幡野広志さんがガンになり、死について、家族について、飾らない言葉で書かれた本。
僕と同世代だし、こんなことを言っては失礼だが、同世代ということは同じような時代や文化を浴びてきたわけだから、なんか自分とノリが似てる、と幡野さんの言葉から感じた。
話が変わって、世間話を良くする職場のお客さんがマスクをしていたので「風邪ですか?」と聞くと、喘息がひどくて肺の手術もしたことがあるらしい。
「仕事なんてとっと終わらせて、アン・ハサウェイ見ながら酒でも呑んで寝ますよ〜」(彼とはアン・ハサウェイの話で意気投合した)といつもお気楽なノリでヘラヘラしてる彼にそんな背景があったとは…
その日、僕は大人のイヤイヤ病を少し患っていて、世の中を、自分の人生を少し斜めに見ていた。誰にでもそう思う時ってあるでしょ?
何で自分はこんなにダメなんだ、何で自分はこんな状態になってしまったんだという思いは30歳越えれば、誰にでも身に覚えがあるはずだ。
幡野さんやお客さんと比べて、自分はガンに侵されてもいなければ、肺の手術もしていない、一応今のところは。
つまらんことでくよくよせずに成すべきことを成せ、ってことか。
人生ってのは、自分で選べるものと選べないもの、その双方を受け入れながら、もがくものなのかなぁ。
他人の死も、自分の死もコントロールは出来ないものなぁ。僕は海外から帰国した成田空港で訃報を聞いたことがあるけど、あの時は自分が誰かが書いた物語の中にいるのかと思うくらい非現実的だったし、今もたまにその感覚を感じる時がある。
それでも楽しいなとか、誰かに貢献できたとか、そう感じられる瞬間を少しでも多く味わいたい。
と、なんともまとまらない文章になってしまった。すんません。今回はこんな感じで。