「諦めること」について
こんにちは、三男坊日記です。
先日、芸能事務所人力舎さんのタレント養成学校スクールJCAに行った際に、ある生徒さんから、手書きで書かれた手紙を貰いました。
生徒の名前はここでは、A君としておきます。
A君は夏休み開けに、スクールJCAを辞めていきました。
生徒さんが辞めていくこと自体は、決して珍しいことではありません。
お笑いという華やかな世界を夢見て、春には沢山の生徒さん達が入学してきます。
しかし、夏休み開けには、その生徒達はごっそりと減り、半数以下になります。
A君の手紙には、大学卒業後、バイトをしながら、お笑い芸人になることを目指したものの、不安定な身の上からか、徐々に精神面、体調面に不調をきたしてしまった。金銭面でも親に迷惑をかけてしまったので、故郷に帰って就職をする。中途半端な気持ちで、芸人を目指したことを後悔している、という内容が、授業に対するお礼と共に綴られていました。
A君がどういう人間だったのか、週に一度、数回の授業をしただけの僕には分りません。
ただ、せっかくA君が僕宛に手紙を残してくれたので、このブログを通してA君に僕の考えを伝えたいと思う。
テーマは「諦めること」についてだ。
もし、何かを続けるか、諦めるかで悩んでいる方がいたら、一つの考え方として読んで下さい。
そもそも諦めることは悪いことなのか?
「諦めたら、そこで試合終了ですよ」
とスラムダンクの安西先生は仰った。確かに、まだ試合の途中、勝つ可能性のあるゲームを諦めてしまってはいけない。苦しくても最後まで、走り続けなくてはならない。
僕はサッカーが好きなのだが、試合の勝敗が決まっていても、1点でも返そうと攻めの姿勢を崩さない選手、チームを見ると胸が熱くなる。
そして、そういう時に奇跡がおきたりする。
でも、A君も僕達も、サッカーやバスケのように、制限時間の決まった試合を行っているわけではない。だから、一定期間を過ぎても思うような結果が出ない場合、やり方を改める必要がある。
そして、その行為は他者から見れば「諦めた」と思われる行為かもしれないが、そこに悲観的な思いを抱える必要はない、と僕は思う。
他人は他人、自分は自分だ。
諦めるタイミングはいつなのか?
では、問題はいつ方向転換をするべきか?
再びスクールJCAの話しになるが、コンビの解散を目にすることが多い。
僕としても、コンビの連携や習熟度を高めて欲しいので、なるべくコンビで課題にあたってもらったり、アドバイスをするようにしている。
例えば、一人が典型的なモンスター系、見るからにボケ担当。もう一人が爽やかな今風の青年、ツッコミ担当。こういうコンビの場合、役割分担がはっきりし過ぎているので、ボケ担当の負担がかなり大きくなってしまう。見た目が面白そうなので、ネタを始めた途端、期待はずれ…というパターンが良くある。僕が提案する解決策としては、ツッコミ担当の爽やか青年がツッコミのみに安住せずに、すべっても良いから軽いボケを入れていこう、という提案をしたりする。
そして、夏休み開け、そのコンビに「どう、ネタ変えた?」と尋ねると、「実はコンビ解散しまして…」という返答が返ってくることが良くある。
僕は、そこはまだ解散すべき、諦めるタイミングではないのになと思う。
マラソン競技で金メダルを目指しているのに、まだ10キロ完走したことがない、みたいな段階だ。
もちろん見極めは、早いほうが良いかもしれない。
でも、そうやって何に対しても本気で打ち込む経験を持たないと、いろんなことを試したけど、結局何も残らなかったという事になってしまうのではないか。
もう、充分やった、ここで辞めても誰も文句は言うまいと自分が思えるのであれば、それは諦める=方向転換するタイミングだろう。
また、A君のように体調不良や、金銭面が苦しくなってきたら一旦撤退する時なのかもしれない。そもそも体調を崩してまでやるような仕事はないし、体調を崩していては良い仕事はできない。
A君へ
一度は「お笑い」の世界を志したのだから、君は自分が笑ったり、人を笑わせるのが好きなのだろう。笑いの世界は、何もテレビ、Youtube、舞台の中にだけあるものじゃない。家族や仕事仲間を笑わせるのだって、立派な「お笑い」だ。そういう人達を、毎日一度でも笑わせることができたなら、君は目指していた芸人に既になっていると思うよ。
「中途半端な覚悟でお笑いに接した」大いに結構じゃないか。何でもやってみなくちゃ、自分に合うかどうか分らないもの。だから、スクールJCAでの経験を後悔に終わらせるか、役立たせるかは君次第だよ。
読んで頂きありがとうございました。
それではまた。