no plan

無計画な日々

もっと早く出会っていれば。

人、モノ、コトにもっと早く出会っていれば、と思うことありませんか?

例えば、自分にフィットする作家との出会いは、その後の人生の方向性に強く影響します。僕にとっては、それがポール・オースターで、彼の著作を初めて読んだのは、2010年の秋のことで、今から9年前だから、僕は28歳でした。

先日、故郷に帰省しました。都会に疲れた人には道行く人も少ないし、自然が多くて良いかもしれないが、文化的なものを求めようとすると、本当に何もない。

如何にインターネットが普及しようが、書店、映画館、美術館、劇場、催し事の絶対数が少なすぎる。絶対数が少ないのだから、マイノリティな文化に触れる機会なんてもはや皆無だ。文学、音楽、映画、美術などのいずれかに精通しているような面白い文化的な人達は中々見当たらない。

だから、ポール・オースターのような作家と僕の故郷のような田舎で出会おうとするのは、天文学的な確率になってしまう。

もっと若い時、10代の頃にポール・オースターに出会っていれば、もしかしたら、僕は大学で英米文学を専攻していたかもしれない。そして、その後の人生の在り様もきっと今とは違うものだっただろう。

若い内の、それも10代後半の数年で、その後の人生の方向性を決定してしまうなんて、今の世の中流石に無理だろう。自分が何者で、世の中の何が好きで、何をするのが嫌いか、なんて分かるわけがない。

帰省した折、この春から高校生の甥っ子と少し話したら、野球部の部活動と授業で日々は埋められていて、常に眠い、なんて言っていた。それじゃまるで、社畜教育を高校生の時から行うようなもんじゃないか。無駄に体力ばかり余っている年頃だから、部活動に熱中させて悪さをしないようにという配慮かもしれないが、もっと世界は広いのだということを教えてあげて欲しいし、僕も教えて欲しかった。

もっと早く出会っていればなあと思うことが沢山あるけれど、良い歳した大人がタラレバばかりで、環境や出会いのせいにばかりするのは流石にまずい。成長が遅い自分もそれくらいの分別はつく。

必要性を心底感じている時がまさにその時、まさに今こそ何かを始めるべき時、何かを変えるべき時、なのかもしれない。

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