形のあるものは、いつかゴミになる
あと数日で、令和という世界線に僕達は乗っかりますね。こういう仕切りの時期、心新たに新元号を迎える為にか、大掃除をされている方が多いようだ。
部屋の掃除をしていると、どこからともなく現れるモノの一つに切手や葉書がある。
「うちのおじいちゃんが切手集めてて…」と、大量の切手コレクションを遺して逝く方もいるようで、中々に厄介。切手コレクションを見てみると、平成の天皇陛下と美智子皇后陛下のご成婚記念なる切手もあり、いつか値が上がると考えたのか、はたまた熱心な皇室ファンなのかは不明だが、そんなコレクションを残されても遺族も郵便局の人も、まあ控えめに言っても迷惑だろう。
皇室切手は極端な例として、形のあるものは、大抵いつかゴミになるのだなぁとしみじみ感じてしまった。
とするならば、形のないもの、見えないものは時間が経ってもゴミにならないのか。
思い付く限りで、形がない、見ることができないもので、価値がありそうなものをあげていくと、
愛情、時間、やる気、センス、優しさ、思いやり、楽しいアイデア、期待感、良い物語…
ビジネス書なんかで、アイデアは具体的な形にしなければ意味がない、って言葉を良く見かけるけども、形になったら未知の可能性を追う楽しさは消えてしまうんじゃないかな。そして楽しさはきっと未知の領域にあるから楽しいのだろうし。