no plan

無計画な日々

74年目の終戦記念日に思うこと

みなさん、こんにちは。お元気ですか?

最近の大学生は就活時に、グーグルやツイッターで、就職する会社名+ブラック企業と検索するそうだ。例えば、「株式会社ABC ブラック」という具合に。

すると、サービス残業の実態、パワハラの有無、実際の社内の雰囲気など、オブラートにくるまれていない、生の声がダイレクトにツイートされている。

SNSの情報が全て正しいとは思わないが、これまでは明るみにでなかった”ぶっちゃけ情報”が出ていることは確かだろう。

そういう情報が、僕の若い時にも欲しかったと本当に思う。

僕の出身地は超ド田舎で、当時はインターネットも普及していなかったので、上京するまでは、本当に情報が断絶された陸の孤島地域だった。

それが今や、人類の英知がグーグルさんによって共有されて、誰しもがそこにアクセスすれば、人類共有の知識を得ることができる、と言っても、もはや大袈裟には聞こえまい。

テクノロジーがどんどん進化してるので、あ〜あと10年遅く生まれたら、人生違ったのになあ〜、と愚かしいことを妄想してみたりする。

スマホで好きな動画をいつでも見れて、Youtuberなんて職業もありで、知らない人とも軽くコミュニケーションがとれて、インターネットが示す可能性は本当に世界を変えてしまった。

今後もその進化はますます加速するだろう。

今読んでいる、佐藤航陽さんの本で、インターネットはかつての電気のように、僕達の身のまりに浸透するという例えをされていた。

電気はもとは明りだった。それがあらゆる物の動力源となり、すべての物とくっついた。同じように今、インターネットがあらゆる物とくっつき始めている。IOTってやつだ。

あと100年遅く生まれたら、どんな未来になっているか楽しみだったのになあ〜と思って逆のことを考えてみた。

あと100年早く生まれていたら、どんな人生だったのだろうかと。

26歳で終戦をむかえることになるわけだ。どこか南の島か、シベリア辺りで戦死していたか、生き残ったとして、変わり者の自分が今よりももっと窮屈な日本社会に耐えることが果たしてできたのだろうか…

スピリチュアルの世界では、その人生でクリアする、学ぶ目標みたいなものがあって、その時代を選んで生まれてくるという話しがある。

生まれた後には、その記憶は残念ながらないのだけど(皆さんにはありますか?)、生まれた時代で精一杯生きていくしかないですね。

先の戦争で犠牲になられた多くの方に黙祷を捧げます。

そして、人類が二度と愚かな選択をしないことを祈って。

 

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