no plan

無計画な日々

ヘンリー・ジェームズ著「本物」を読む。

引き続き、柴田元幸さん翻訳のアメリカンマスターピース古典編を楽しく読んでいます。

今回はヘンリー・ジェームズ著の「本物」を読みました。この作品の中に登場する本物とそうでないものについて考え方は、俳優という職業の在り方と通じるところが多いと感じたので、もしこれから漠然と俳優という職業を考えている方がいるなら、試しに読んでみてください。

粗筋はこんな感じです。

流行の文芸誌の挿絵を担当する画家のもとに、貴族と見受けられる夫婦が自分達を挿絵のモデルにして欲しいと訪れてきます。夫婦は本物の貴族であることが上品な扮装や佇まいから見てとれますが、どうやら生活には困窮しているようで、職探しをしている様子です。

画家は困窮する貴族に対しての同情と、挿絵に登場する貴族や貴婦人の、まさに本物をモデルとして絵を描くことへの興味から夫婦を雇うことにします。

しかし、夫婦をモデルとして描いた絵の出来はどれも良くなく、彼らは画家にインスピレーションを湧かせる存在ではありませんでした。画家は自分が本物であることではなく、本物らしくあることを、また描く対象が自分の手によって多彩な変化を見せることこそを求めていることに気付きました。確固たる本物を求めているわけではないのだと。

画家には兼ねてよりモデルとして雇っている下町娘のチャーム嬢という女性がいるのですが、彼女こそが画家が求めていたモデルだったのです。本人の中身は空っぽ。しかし、一度それらしい扮装をさせるとチャーム嬢は本物以上の濃い中身に姿を変えます。本物の貴婦人以上に貴婦人らしく変身するのです。

このチャーム嬢の才能と条件こそが、職業俳優に必要なものだと僕は思います。つまり空っぽで無色の中身です。そこにポツリと液体を垂らせば、様々な色に変化する、そんな才能と条件です。

既にあなたがある色に染まっているならば、職業俳優としてのあなたはいろいろな不満を覚えるはずです。こんな衣装はやだ、こんな演出はやだ、こんな相手はやだ等々。

そんなことを言っていては、職業俳優は務まりません。極端な話、俳優を目指すならば、あなたの中に確固たる世界観があってはいけません。あなたは常に他者の世界観を具現化する存在なのです、しかも本物よりも本物らしく。そりゃあストレスの多い仕事になるでしょう。顔から火がでるような恥ずかしい台詞を言ったり、笑顔で家電の名前を連呼したりするのも仕事になります。

あなたには仮の世界で誰にでもなれる自由が与えられます。しかし、現実の世界では誰にもなることもできません。それが職業俳優の希望であり絶望です。

どうですか、やってみたくなりましたか?

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